温かな目

かなり前になるのですが、デイサービスおかげさんでは利用されている利用者の方が事業所から出て行ってしまい一時行方が分からなくなるということがありました。勿論安全管理上の対策は強化しましたが、今回はその話ではなく。

行方を職員が手分けをして探しました。結果、近隣にお住まいの方の住居に入ってしまうという事態に至り、近隣の方が警察へ連絡しておられました。通報のおかげで本人を発見でき、幸い怪我等もなかったのですが、近隣の方には大変ご迷惑をおかけしてしまいました。

警察の方が2名来て下さり事務処理や今後の対応についての話をしていた際のやり取りの中で、少し温かい気持ちになるやり取りがありましたのでその話を。

警察A(多分先輩)「これからデイサービスの管理者の方と一緒に迷惑をかけてしまったお宅へ行って説明してきてください。」と警察Bに伝える。

警察B(多分後輩)「分かりました。一緒に謝罪に行ってきます。」

警察A「謝罪ではない!説明に行ってきてください!」

 

やり取りとしてはこれだけです。私自身もその時は本人や近隣の方への申し訳なさが先立ち特に違和感なく聞いていましたが、何故か少し温かい気持ちになりました。

後々になって考えてみると、警察Aの方は「その人が悪いのではない」ということを分かっておられたのだと思います。認知症を抱えながら生きる方の言動をみて「その人が悪い」と考えてしまうと、周囲の人は警戒し、遠ざけたり、どんどん認知症を抱える方が生きづらくなってしまう。警察Aの方が謝罪ではなく説明という言葉にこだわったのはそういうことではないかと勝手ながら思いました。

起きてしまった事、迷惑をかけた事実についての謝罪はもちろん必要ですが、認知症を抱えながら生きる人が悪い事をしたから謝罪するというのは誤っていると感じます。

今後、認知症を抱える方が700万人にもなろうとしている時代において、少しずつでも認知症による不自由を抱えながら生きている人を見守る温かな目が増えていくことを願います。誰でも認知症になる可能性は高いし現実近くにも多くの認知症の方が当たり前に生活しているのですから。